汚い場所にあると綺麗な物まで汚く見える
- 2014.05.18
- 思うこと
こんにちは。おちゃらけと真面目の比率が8:2位のものです。
自分は特にブランドとか高級品を持っているわけではありませんが、ちょっと格好いい電化製品とかデザインのオシャレなノートPCとかは持っています。
そういう製品は以前の綺麗な部屋に住んでいた時はそれなりに見えたのですが、今の実家のぼろい部屋に置いてあると何となく良いものには見えません。安っぽく悲しげで哀愁漂う姿に見えます。
私の部屋の様な古くて汚い部屋にあると、高級品とか本来良い品も良いものに見えないのですね。このことから二つの事を考えました。
一つは、人間は身を置く場所が大切で、環境が悪いと自分まで低く見られてしまうということです。これは自分の本質とは無関係に自分のいる場所、所属する組織などを通して色眼鏡で見られてしまうということです。「掃き溜めに鶴」という言葉もありますが、「朱に交われば赤くなる」という言葉もありますのでね。
なかなか人の本質を見るのは難しいと思います。人はほとんど見た目で判断されてしまいますので、やはりそれなりに判断して欲しい場合は、それなりの格好をする必要はあるかと思います。
もう一つは、物の本質を見誤ってはいけないということです。例えば住宅展示場などのモデルルームに綺麗に置いてあると良いものに見えますが、実際は経費の事もあるので、よっぽどの高級マンションでもなければそれ程いい物が置いてあるわけではないでしょう。(想像です)そういう見栄えに騙されず、その物の本当の価値を見定めようという事です。
節約しながらの生活で、物でもサービスでも自分がそれをお金を払って手に入れる場合、支払う対価として納得できるだけの価値があるか、それを見定めてからお金を使いたいなと思います。もちろん物質的に同じ物でも、自宅にいる時と砂漠にいる時では水の価値が違うように、時と場合によって変わってしまう事はありますが、砂漠に行く時も水をある程度用意してから行く事は出来ますのでね。
なんだか説教くさい話になりましたが、自分に対する戒めとして書いているのです。気にしないで下さい。
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