皆さんあれから四年経ったのを振り返っているな
- 2015.03.11
- 思うこと
私はあの時はまだ松本市の勤務していた会社にいて、震源から距離があるので揺れ自体はそれ程大きくなかったもののゆっくりと長時間揺れたことを覚えています。
すぐに皆でネットを見ると津波の予想が10mとか書いてあり、これは何か大変なことが起こってしまっているのかもしれないと思いました。
自宅(売却したマンション)に帰るとテレビでは暗闇の中の映像が。次の日から徐々にとてつもない映像が目に飛び込んできて、被害の甚大さが露わになってきました。
前の嫁さんがその時は長野市にいて離れていたため、メールで無事を確認し合いました。
その次の日だったか、こちらは長野県以外の人は記憶に無いかもしれないけど、長野県の栄村という新潟県との境辺りで、これまた震度6強の地震があり、こちらもかなりの打撃を受けました。この栄村は大きな地震がよく起こる場所です。しかし建物は崩壊したものの人口の少ない村だったので幸いにも亡くなった人はいなかったように思います。
こんな大きな地震が続いたのでいったいどうなってしまうのだろうと、小松左京の日本沈没を思いだし不安になりました。
その数ヶ月後、今度は私の住む松本市で震度5強の地震がありました。ちょうど朝の通勤途中の車の中で、車が揺さぶられ電線がうねうねしていたように記憶しています。震度5であの揺れなのだから、東北は自分には想像もつかない揺れだったのだろうなと。
段々と怖い記憶は薄れていきますが、日本は小さい国土に4枚のプレートが複雑に集まっている珍しい場所です。日本にいる限りは地震から逃れられないことを肝に銘じ、今後の災害では被害を最小限に抑えるべく、我々が個々に備えをしておくことが必要なのですよね。
逆に言うと、現代の科学ではそれくらいの事しか出来ないのだと思います。新しく家を建てる人は出来るだけ耐震性に対する対策を。私は水や数日分の食料を置いてあるだけですが、皆さん災害で死なないように、特に悲しむ人がいる場合は生き残ることを目標にしましょう。私も死なないように頑張りたいと思います。
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