通勤は参勤交代だったのか。服従させる仕組みの一つ
- 2015.12.29
- 仕事
地元に戻ってから、朝ぱらぱらと雪が舞って(降るって程じゃない)、でもすぐに晴れてきてという日が数日ありました。
今日もそうで、ん、今朝は結構降ってるなと思ったけど午前九時には晴れですよ。
FMからはaikoさんの「milk」が流れ(雪もミルクも霞む静かでスロウな真っ白い光に…という歌詞がある)、白いイメージの気分だったのに。
会社に通勤していると、朝の雪なんて憂鬱です。げんなりです。「またかよ!」と思ってしまいます。
私は車通勤だったので道路が渋滞するから早く出発する必要があったり、公共交通機関を使う人でも普段通りにいかなくて面倒になるからです。
リタイアするとそういう考えからは逃れられます。豪雪地帯の人は大変で切実な問題ですけど、そうじゃない地域でたまに降る雪なんてむしろ真っ白で美しいじゃないですか。
そういう美しさも疎ましく思ってしまうほど病んでいるんです。公共の交通機関も乱れることがあったりと、無駄な通勤時間がさらに長引く。働いているとそういう気持ちはいかんともしがたいですけど、通勤がないだけでも大分違った感覚で雪を見られるんじゃないでしょうか。
雪なんて子どもの頃はむしろわくわくしたものだけど、何事も純粋に感じられる子どもの頃に楽しかった事っていうのが実は本当に楽しい事なのかも。大人になると色々なしがらみから悪い面ばかりを見てしまう。
通勤しなくていいと、雪って美しい~!そんな気分になるのです。
これだけネットとかでやり取り出来るのに、何でわざわざ会社まで行く必要があるのかね。打ち合わせとかデータのやり取りだけならどこでやってもいいのにね。
未だにそれをやっているってことは、もしかしたら会社の上層部にとって、通勤というのは参勤交代的な目的を持っているのかも…。
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