アインシュタインは浦島太郎の夢を見たか?

アインシュタインは浦島太郎の夢を見たか?

アインシュタインの特殊相対性理論は、細かいことはよく分からんがぶっちゃけていうと「物体が高速で移動するほど時間の流れが遅くなる。」ということらしい。

時間と空間を独立に扱うことはできない
動いている物体の長さは運動方向に縮む
動いている物体の時計は遅れる
動いている物体の質量は大きくなる
宇宙に光速を超えるものはない
エネルギーと質量は等価である

常識的に考えるとそんなバカなとお思いでしょうが、この現象は光速に近い速度でなくとも発生するため、現に航空機に載せた原子時計の進みがごく僅かに遅れる事が実験によって確認されています。

これは浦島太郎の話から、日本ではウラシマ効果と呼ばれたりします。浦島太郎が竜宮城に行ったという話ですが、時間が遅れるという理論を知ると、実は超々高速の宇宙船に乗っていたため地球上より時間が遅く流れ、戻った時には地球上ではかなりの年月が経っていた話だとも想像出来るからです。
 

アインシュタインが相対性理論を考える元となったのは、少年時の「光」に関しての空想でした。

通常、同速度で同方向に走る車同士では互いに止まって見えます。ならば、もし光速で光の波を追いかけたら、そこには静止した波動の場があるのだろうか?止まった状態の光が見えるなんてそんなことがあるとは思えない。という発端です。

地面を基準にした速度で考えますが、時速50kmで進む車から進行方向に時速100kmでボールを投げるとボールの速さは地表に対して150kmとなります。しかし光にはこういう現象が起きません。

光というものは不思議なもので、地面から発射しても超速い宇宙船から発射しても秒速30万kmと速度は同じなのです。(これは太陽に対して地球が動く方向で光速が変化しないというマイケルソンとモーレイによる1887年の実験で実証されたが当時は失敗だと思われたようだ)
 

それまでのニュートン力学では”観測者の立場”が重要な意味を持ちました。(車などの速度は相対的なもので観測する立場により異なります) しかしアインシュタインは「それはおかしい。そもそも物理法則というものは、普遍的に成り立つものである」という信念を持っていたとのことです。

(念のため。ニュートンの業績を否定するようですがそうではなく、「時間」「空間」「質量」が絶対的な量ではなく相対的であることが示されたのが革命的なわけです。相対性理論の式でも我々の日常の速度ではニュートン物理学と同様になり、時間の遅れなどはあくまでも運動する物体の速さが光速に近づいた時に、より顕著に現れる”効果”なのです。)

光の不可解な性質は多くの物理学者を悩ませてきたのですが、アインシュタインは、光は「粒子としての性質と波動としての性質を併せ持つ」もので、光だけは別物だとすればええやんけという考えに至ります。(その後量子物理学により電子などもそういった性質を持つことがわかってきたとのこと)

すべてのものに共通の法則があるという前提で考えず、例外があってもいいじゃないかと考えました。それまでの常識に囚われず、発想の転換をしたのです。

アインシュタインは「光速は、光源や観測者の運動状態に関係なく常に一定である」(光速不変の原理)という仮説を立てました。光速は「速さ=距離/時間」で計算されるような二次的な量ではなく、定数なのです。これを自然の原理として、”時間の遅れ”や”空間の縮み”が導き出されました。(日常的な感覚として時間や光についてピンと来ないのが難ですけども)
 

アイン図

思考実験で、電車内にAから出た光がBで跳ね返ってAに戻り1秒となる時計があるとする。光速が常に一定だとした時、Bで光を反射して戻ってきた距離(光の経路)は、電車内部の観測者から見るよりも、外部の観測者から見た方が電車が動いている分だけ長くなる。

すなわち外部から見ると内部から見るよりも光の移動距離が多いのだから時間が長くかかるはずということになる。電車内では1秒で終わる現象が電車外の観察者には1秒以上に見える。すなわち動いている場では時間が遅れるということになる。(どのくらい遅れるかはABAとAB’A’の差ですからピタゴラスの定理で求められますが、実際の電車の速度は光速に対して遥かに小さいので日常では時間の遅れは無視して良い程度となる)

アイン式
cは光速。速度vが小さければ無視できる程度

逆に電車内からは地上の時計が逆向きに走っているのと同様で、そちらからすると今度は電車外の時計が遅れて見える。時間の遅れは相対的であり、これが特殊相対性理論の考え方の始まりらしいです。

静止している(加速度が加わらず速さと運動の方向が変わらない)という特殊な状態なので”特殊相対性理論”なのですが、実際には地上の我々にしても自転公転で直線的でなく動いています。慣性系で等速直線運動のみに成り立つ特殊相対性理論は重力が働く場所では使えない(重力の説明もできない)ため満足出来ず、重力を含んだ一般相対性理論の完成まで10年の月日を要したとのことです。

(今まで万有引力が伝わる速度を無限大と考えていたため、光速より速いものは無いという特殊相対性理論と矛盾する。このため重力の源を「質量」ではなく「空間の曲がり」だと説明していった。「物質があれば、その周りの空間は歪む」らしい)
 

普段の生活からは想像しがたいですが、時間も空間も絶対的、普遍的なものでなく、運動状態によって変化しうるのです。この世界では慣性系毎に固有の時間があり、それは空間によって決まると言えるのかもしれません。

また時間や空間に目が行きがちだけれど、特殊相対性理論の衝撃的な結末は、「質量とエネルギーは等価」であるという発見であり、アインシュタイン自身が特殊相対性理論の最も重要な結論であると語っているそうです。E=mc^2というやつですね。

内容を全て紹介するとお腹いっぱいになってしまいますが、「アインシュタイン丸かじり」では、光より速いものは無い、移動する物質は質量が増えているなども手品のように説明されます。詳細は分からないんだけど何となく雰囲気は感じ取れるようになっている本。物理学が専門でない私のような一般の人向けに書かれています。学問ではなく面白い読み物として、興味があればどうぞ。

アインシュタインは1922年に改造社の招きで日本を訪れています。アインシュタインがノーベル賞受賞の知らせを受けたのは、神戸港に到着する一週間前の船上でのことで、受賞理由は相対性理論ではなく「光電効果の法則の発見」でした。彼は43日間もの間、日本に滞在し日本びいきになったようですが、浦島太郎の話を誰かから聞いたでしょうか。

タイトルはお馴染みの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のパクリで、ちょっと一回使ってみたかっただけなのですm(_ _)m これは遙か昔に購入したものの未だ読んでいない本の一つですねえ。
 

ちなみにウィキペディアによると浦島太郎と似た話が存在するようです。

アイルランド神話になりますが、美しい海の乙女と「常若の国」に行き楽しく過ごして3年ぶりに故郷に帰っきたら300年経っていたというストーリー『ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)』というのがあるそうです。

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