「一九八四年(1984年新訳版)」ジョージ・オーウェルの感想

1949年に発表された作品で、かなり前にこれが書かれたという洞察力に驚きます。何かすごい物を読んでしまったと感じてトマス・ピンチョンの解説を読んだらこれがあまりに詳しくまた驚きました。

主人公は党が独裁して支配する世界の中間層(党員)なのですが、党に対して違和感を持っています。他の人のように純粋に党を信じることは不可能だと考えています。普通の人は党に心酔しているので異端者になります。

党員はテレスクリーンという薄型テレビの様な双方向装置で、ありとあらゆる場所で終日監視されている状態です。党に批判的な態度をみせれば「思考犯罪」とみなされます。

ただ一般の愚鈍で従順な人々は党への批判など考えもしないので特に監視は意識せずとも問題ないようですが、主人公にとっては緊張を緩められない日々となります。

主人公の仕事は党に都合の良いように歴史を改竄することで、自分の記憶と真実の歴史がどうだったかすら定かではなくなります。

この辺りはもしかしたら現実の世界とあまり変わらないのかも。インターネット上のやり取りは監視されているとのことだし、歴史は戦争の勝者や権力者が都合のいいように記録したものかもしれないし、メディアは世論を誘導するものだし。

またニュースピークという英語を単純化した言語が出てくるのですが、意図的に語彙を減らし、意味を整理していく事により思考の範囲を狭め、思想を統制することを目的としています。

そのような背景の近未来を舞台にし、全体主義的な絶対権力への嫌悪を描いた作品だと思います。

私達は普段、上司などの納得できない命令を遂行していても、心の中では反抗したりしています。頭の中での思考は自由でこればかりは誰にも邪魔されません。しかしこの小説では党がそれをも思い通りにします。長期に渡っての激痛や拷問により、愛する人を裏切り自尊心を傷つけ、党は絶対だという思想に矯正していくのです。

小説の中程で党が仮想敵とする「ゴールドスタイン」の書籍が出て来ますが、その内容が党や世界の仕組みについて書かれていて興味深いです。以前よりぼんやりと思っていたことが上手く言葉にされている様な感覚というか。例えばですが幾つか挙げてみます。

その書籍の「戦争は平和」という章ですが、民衆に余計な知識や過剰な快適性を与えないように、支配階級が常に戦争状態にしておくというような記述があります。現代の我々も、生かさず殺さず、ネットやスマホなどのおもちゃを与えられ、これくらい与えとけば一生働いて搾取できるだろと言われているような気がします。

また現在では機械による生産の効率化などによって人間の平等が技術的に可能になったにも関わらず、支配層が自分らの利益のためにそれを避けているということが書かれています。企業の利益追求のために長時間労働を強いられる現在ですが、人々が生活していくだけならもっと少ない労働で済むのにということですね。利益を得ている人達が意図的にそれを避けているのだろうなと感じます。

有史以来人類には上層、中間層、下層が常に存在し、中間層と上層は時々入れ替わるが、中間層が上層で支配するようになった途端、今まで平等だ何だと主張してきた事を一瞬にしてひるがえし支配層としての方法論で新たに勝ち得た権利を守ろうとする。議員になった途端に「議員も色々とあるんですよ」とあちら側に寝返る人達が多いのは昔から変わっていないのでしょう。

主人公は思考まで支配される世界を好ましいと感じてはいません。もしこの世界に変化が訪れるとしたら、それは下層の人々が蜂起することでしかありえないと感じ、同士を求め恋に落ち…

これ以上細かく書くと、もしかしたらこれから読む人の為にネタバレになってしまうのでこれくらいで。

特に世の中の仕組みに疑問を覚えたり、組織の中での立ち居振る舞い方は十分に承知してはいるのだが自分がそう行動することを良しとしない様な(早期リタイアを志す)人達には相性の良い本かもしれません。

まあちょっと感想といっても内容をかいつまんで紹介するだけで深くも上手くも書けないんですが、興味深い小説であることは違いないです。

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