人間好きの方が人間嫌いになる
- 2015.06.15
- 書籍
「人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ」という本ですが、これにはセミリタイアに近いというか、その一歩手前、人生を半分降りる、半隠遁するということについて書かれています。
著者が言うところの半隠匿というのは、一言でいうと、周囲の同調圧力に対して自分の気を割かないというということでしょうかね。
例えば暗いより明るい性格の方が好ましいとか、そういう暗黙の了解事や周りの空気や雰囲気に、意に反して無理に合わす事を止め自己中心的になること。
もっと具体的には気が乗らなければ無理をしない。例えば嫌な飲み会を避けるとか、社内政治に巻き込まれることを避けるとか、そういうことだと思います。
確かに働きつつも、考え方一つだったり、実際にそのように振る舞えればサラリーマン生活も多少は楽だと思うけど。
私の場合は、わりと初期からなるべく飲み会やご機嫌取り、そういうのは避けていたんですが、実際の仕事の部分でも辛くなってしまいました。さすがに仕事の部分は(社長の愛人とか)特別な立場でない限りやらないわけにはいかないですから。
現状の私はといえば、半分どころか八割方隠遁だと思います。
仙人みたいに世の中から離れているわけではないけれど、特に人とのお付き合いもないし、あとは両親の葬式を終わらせてしまえば、親戚付き合いも無くなってほぼ全隠遁なのでは?
リタイアを考えている人には、なかなか面白い本だと思うのですが。
その中で、記事タイトルの件は本の主題とは直接関係ないのですが、著者が引用した白洲正子という人の言葉が心に残りました。人間嫌いというのは、人間関係から会社勤めも嫌い、引いては仕事からリタイアへという思考に繋がり易いと思うので。
「おもうに真に人間好きな人は、人間嫌いになるのが当然の成行きなのだろう」
人間好きな人は、人間つまり自分にも他人にも多大な期待をする。しかし生きていく間に自分からも他人からも裏切られつづける。自分だって呆れた人間だが、自分からは離れることができないので、せめてあらゆる他人から離れてこれ以上人間嫌いになるのをくい止めよう、そういう意味合いだと著者は述べます。
そういえば自分の子供の頃は、遊びましょとか言ってよく友達を誘っていたし、元々は美人ブス関係なく女子と話すのなんてすごく楽しかったし、高校生くらいまでは仲間でつるんで遊んでいましたよ。若い頃は人間好きだったかもしれません。
大学時代も仲間内では遊んでいたんですが、人数が減り狭く深くなりました。これは地方から都会へ出たのでチキンな私は怖じ気づいたのかもしれんな~。井の中の蛙が大海でびびったみたいな……
まあ、自分のことは棚に上げといて、段々年齢と共に面倒な人と関わったりして、単純にそれで人付き合いが嫌になってくるのかもしれませんね。自分では想像し得ない様な色々な手合いを見るからさ。
まあ自分は精神的な病が出てそれ以降人付き合いは避けてきたというのもあるかな。あれ?自分は人間嫌いというわけでもないのかな。人付き合いが煩わしいだけで……同じか。
⊿
今回ネタにした本を書いた中島義道という人の「働くことがイヤな人のための本」というのを以前読んだので、それについても何か書きたいのですが、本自体を処分してしまったし内容を細かく覚えていません。働きたくなるという本ではなく、ただそういうちょっと働く事について病んでいて、考え込んでしまっている人にいいかなと思ったので追加しておきました。