他人の評判で動くというのは、結局は他人に人生を決められているのと同じ
- 2015.10.21
- 思うこと
何かをしよう、買おうと思ってネットで評判を調べることがあると思います。
そこに納得する批評が書いてあれば参考にしたり従うのもいいでしょう。
でも行こうと思っていた場所が「くだらない」「行く価値無し」と酷評されていたらどうでしょう。行く気分になりますか? 読みたい本が「読む価値無し」、食べたい物が「くそ不味い」と書かれていたら?
低リスクなら、100円の本なら試しに買ってみようとは思えるけど5,000円もするなら躊躇します。本当に5,000円だして買う価値はなかったのでしょうかね。
ネットというのは批判は多いけど、問題を感じない人は通常はわざわざ書き込んだりしないので、大概は単なる悪口だったり、たまたま何かあって気分を害したような人が書き込む率が高いはず。
評判を聞いてリスクを回避するのは賢明なのかもしれないけど、そんなものをいちいち真に受けていては何も始まらない気がします。ネットの評判を気にしていてはやりたいことができなくなりますよ。
「百聞は一見にしかず」ですし、自分で経験して判断するしかない。うわー評判通りに「くそ」だったと思っても、それはそれでいい経験じゃあないでしょうか。
安全策ばかりとっていては楽しくない。新しいことをやって人柱になるってのもなかなか乙なものですw
とか言っても人の意見を全く気にしないというのは凡人には難しい。自分に絶大な自信がないとできないことです。
私は他人とのやり取りはないし、一人で生活しているので評判を知るとしたら主にネットです。
リタイア生活を継続中なので気にする必要なんて全くないのですよね。友人ならまだしも他人の、ことさらネットの評価なんて全くどうでもいいし関係ない。自分が行きたい所に行って、やりたいようにやればいいんです。
他人の評判で動くというのは、結局は他人に人生を決められているのと同じことなのだと思う。もちろんみんなの意見は案外正しいということはあるのだけれど、同じ価値観で生きる必要もないでしょう。
もう少しそういうことを心がけてみよう。
(今でもやりたい放題じゃないのって? いや~ラーメン記事を書くのにしても、この店ってどういう評判なんだろうって気にはなりますよ)
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