仕事や働く事について箇条書き

仕事や働く事について箇条書き

最近はあまり考えなくなってしまいましたが、退職してから本や人様のブログなど読んで仕事や働く事についてちらっと思ったことを箇条書きっぽくしてみました。まあ適当です。

 

・やらされる仕事と自らが創り出す仕事はまったく気分が違う。経営者がバリバリ働けるのは仕事ではなく楽しい趣味だから。(「いかなる職業でも自分が支配する限り愉快であり、服従するかぎり不愉快である」アラン)

・仕事のやりすぎで死ぬことがある。肉体的に異常をきたすこともあるし、精神的に追い詰められる場合もある。

・他人が持ってくる儲け話は儲かったためしがない。本当に儲かるなら自分でやるはず。(富裕層同士ならそんなことはなく互いに儲けるのかもしれませんが)

・日本の労働市場は流動性に欠けている。移動が多ければ良いわけではないが、移動の自由があることが重要。移動しにくいために劣悪な環境で働かざるをえない。

・多くの人は資本家を儲けさせる為に最低限の賃金しか与えられず働かされる。賃金は次に働く鋭気を養うための最低限のものが支給されるだけ。

・実力だけでなく、運不運で就労環境が決まることも多い。就職氷河期など時代にも影響を受けるが、それを是正するシステムが弱い。

・世の中は無駄な仕事を創り出しながら回っている。生きる為に食料を得るような絶対必要という仕事は少ない。

・なくても人類として存続できるような仕事ならのんびりとやった方がいいと思う。ただ無駄だから不要というのではなく、どうせなら人を楽しませる仕事を創り出す方がいいに決まってる。

・やりたいことがない場合や仕事で自己実現をしようと思っているなら、早期リタイアなど考えず働いていた方が良さそうだ。ただこれといってやりたいことはなくとも、「暇でもいい、ただ働きたくないだけだ」という明確な意志がある人は早期リタイアしたほうが幸せ。

・よくは知らないが海外の話を聞くと、日本人の仕事に対する考え方はどうやら変わっているらしい。

・男だから女だからという考え方も根強く残っている。

・グローバリゼーションによって安定成長できた時代は終わってしまったが、なかなか仕組みが変わらない体質。

・日本に希望を持って来た留学生を不法に就労させて搾り取るようなニュースを目にする。善意や好意を逆手にとったり、日本に嫌なイメージを植え付けるのは長い目で見て得策でない。

・好きに使える時間を得るために仕事時間をセーブするという考え方が少数ではあるかもしれないが徐々に増えつつあるように感じる。だがまだまだ一般的には到底受け入れられそうにない。

・日本の学校というのは従順な労働者を輩出するための工場だったのか。

・一生十分に暮らせるだけの宝くじが当たっても働くという人が一定数いる。

・一生十分に暮らせるだけのお金があっても、やっぱり貯金が目減りしていくのは避けたいというのが人の心情らしい。

・人と関わりを持ちたい人は、まったく仕事をしなくなると満たされないのかもしれない。

・いい人になるより口が達者になる方が就職戦線を勝ち抜けるらしい。

・能力がなくても努力して勉強すればなんとかなりそうだという希望があるうちはまだよかった。なくなってきたらどういう社会になるのか。

・勉強は就職のためでなく、自分が何に興味があるのかを知るためにするもの。自分に向いた働き方が見えてくるかもしれない。

・いい学校、いい会社という前に、親は自分の子供の適性を知る必要がある。みなが同じようにやっていけるわけではないし、生き方は一つでなく様々な可能性があることを教えてあげる必要がある。

・力が暴力から金に変わっただけで、力のあるやつに支配される構造は変わらない。

・人類は将来ロボットが働いてくれて人間は嫌なことをまったく何もしなくてもいいという社会を目指さないのか?

・くたくたになるほど長時間働いて、それでいい仕事ができると本気で思っている人がいるのか。もしくは仕事が長時間になると知ればペース配分をゆっくりしようと考えるとは思わないのか。

・経営者は元々バイタリティがあるからそうなれるので、世の中の人や従業員がみな同じように体力や精神力があると思ってはいけない。

・退職しても働いている頃と同様の生活を望む人が多い。生活レベルを下げるよりは働いた方がマシということなのだろう。動かないと腹の減りも少ないと想像はしないのだろうか。

・過剰なサービスを求めれば、逆の立場になった時に自分も求められる(=仕事が大変になる)とは想像しないのだろうか。

 

ひとつひとつブログネタになりそうなので、まあ私は色々と浅くてあれですが、また追々とネタにしようと思います。

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